额尔古纳河右岸

アルグン川の右岸 (エクス・リブリス)

アルグン川の右岸 (エクス・リブリス)

エヴェンキ族最後の酋長の妻、90歳の「私」は、仲間が定住地に移住していくのを見ながら、森の中で最後までトナカイと一緒に残ることを決意して、これまでの人生を語り始める。もともと民族はバイカル湖周辺に住んでいたが、ロシア軍が侵攻してきたため、アルグン川の右岸に渡る。そこは当時、清国だったが、やがて中華民国となる。そして日本軍の対ソ連前線基地となり、男たちは軍事訓練を受けるが、日本軍は敗退していく。やがて中華人民共和国内モンゴル自治区に変わり、社会主義体制のもと、政府は医療の改善と教育の充実、また動物保護を名目にして定住生活を推し進める。だが彼らのトナカイとの共存共栄の生活が理解されず、狩猟民としての生活が破壊されていく。都市での定住生活に適合もできず、将来を見出だせない狩猟エヴェンキ族。民族は徐々に衰亡し、やがて絶滅してしまうのではないか、と危惧する……。

クラシックシリーズ以外は、エクス・リブリスは創刊から全部読んでるんだけど、イマイチ引っかからない作品も少なくなくて、そろそろ購読をやめようかなぁ、と思ったりもする。


だけど、毎度読むことを課していなければ、このような傑作に出会うこともないわけで、そういう意味でも、普段手に取らないような様々な国の文学に触れられるという意味でも、読むのを辞めにくい叢書。


そんなわけで、エクス・リブリス中でもアタリの一冊。


生と死、伝説と生活、そしてトナカイと同居した、遊牧民族エヴェンキ族の一世紀近くにわたる年代記
エンタメ小説にある派手な出来事や描写はないんだけど、最後の酋長の妻である「私」が見てきた出会いと別れの物語にページを止められない。
生活がまるで違うとはいえ、この自然とともに歩む、落ち着いた読み心地は、アジアの血がなせる技なのかなぁ。


耳慣れない名前が多く出てきて、なかなか覚えられなかったんだけど、気づけばそれぞれの血縁関係もわかり、容姿も思い浮かべられるようになっている。
地域も時代も違うけど、森薫画に脳内補正w


死がすぐ隣にあるとはいえ、それが当然のように受け入れられるわけではないんだよね。幾つもの出会いや誕生が出てくるけど、死や別れの出来事の方が強く印象に残る。
語り手が最長老なんだから、登場人物はほとんど死ぬべき運命とはいえ、いざそれが語られる番になると、やはりショッキング。
トナカイに乗ったままの凍死。アルグン川を渡ったのか、突然いなくなる母子。仲間のために熊に殺される男。
中でも、人を救うたびに、自分の子が死んでしまうシャーマンのエピソードは強烈。神話と現実が融合した存在で、まさに「大いなる力には大いなる責任が伴う」を地で行く人物。しかし、その代償はあまりに悲痛で、現実としては残酷すぎる。


トナカイの疫病や日本軍の進駐など現実味のあるエピソードと、シャーマンや呪いといったファンタジックな出来事が全て同列に語られるものの、マジック・リアリズムとは明らかに手触りが違う。
語り手が長老なのだから、信用出来ない語り手、と読むことも可能だし、後から理屈はどうとでも言えるだろうけど、その全てが彼女にとってはリアルに体験したことで、語り口も生々しい。
時間の流れも一定ではなく、気づくと一族が老いていて愕然とする。現代に近づくに連れ、近代化していく様子の方がリアリティが薄い。


20世紀後半の日本に生まれたものとして、彼らの生活が羨ましいとは思わないんだけど、それでも、滅び行く運命には寂しさを覚える。