BY BLOOD

血の探求

血の探求

1974年の晩夏。休職中の大学教授である“私”は、サンフランシスコのダウンタウンにオフィスを借りた。そこは元続き部屋で、内部には隣室につながるドアがあった。ある日、そのドアから精神分析のセッションが聞こえてきた。“患者”は若い女性で、養子のため自分の出自がわからず、アイデンティティの欠落に苦しんでいた。“私”は息を殺して、産みの母親について調べる患者の話に耳を傾け続け、やがてふたりに気取られないようにしながら母親捜しの手伝いを始める。彼女はなぜ養子に出されたのか。“血の探求”の驚くべき結果とは――。本文のほとんどが盗み聞きで構成された、異色かつ予測不可能な傑作ミステリー。

全編盗み聞きで構成されているというので、『閉じた本』*1に似てるのかと思ってたんだけど、だいぶ感触は違う。
『閉じた本』の主人公は目が見えないため、語り手の言葉を信じている(信じざるを得ない)んだけど、こちらは盗み聞きがバレてはいけないという身分だから聞き返せないし、カウンセラーに不信があるため、話も信用していない。
信用できない語り手が、信用できない聞き手の話を盗み聞きするという形になっていて、信用できないことが物語の推進力になっており、また、盗み聞きだけだから肝心の部分が語られないんだけど、主人公三人が口を濁す過去を想像することも燃料となっている。


それぞれが、相手に自分のトラウマを投影しており、だから、相手に肩入れしたり、反発したり。それは現実の生活の中でもあることだけど、声だけだからこそ、それが際立って増幅される。


ナチスによるユダヤ人虐殺の中、こんな悲劇もあったことは知らなかったけど、それ以上に、盗聴者である“私”がまぁムカつく。
様々な秘密を窃視する小説であるんだけど、それ以上に評論家小説といえるかも。
作品自体の結果に対する責任はないけど、それへの影響はいくらでも与えることができる。この“私”は“患者”を娘のように勝手に感じ始め、彼女の助けになろうとするけど、それはセッションの邪魔にしかならないことをまるでわかってないんだよね。それで彼女の調子が悪くなっても、責任取るのはカウンセラーだし。
恐らく、同じようにひとりよがりなことをして、大学を追放されたのだろうということがわかる。


“私”も含め、三人の語られない部分を覗き見るというのは、読書ならではの経験だと思う。映像化は難しいだろうなぁ。