The Lego Movie 2: The Second Part

『レゴ(R) ムービー2』鑑賞
http://wwws.warnerbros.co.jp/lego/index.html

世界中で親しまれるブロック玩具の「レゴ」を題材にアニメーション化し、大ヒットを記録した「LEGO(R) ムービー」の続編。ブロックシティが襲われた恐ろしい事件から数年後、平和な日常が続いていた街に謎の宇宙人が現れたことをきっかけに、ブロックシティはすっかり荒廃し、誰もがすさんでしまう。そんな中で、エメットだけは相変わらず明るく、ごくフツーの日常を過ごしていた。しかし、ルーシーやバットマンといった仲間たちが宇宙人にさらわれてしまい、エメットは仲間たちとの日常を取り戻すため宇宙へと飛び出し、ミュージカル好きなクイーンが支配する惑星へとやってくる。監督は「シュレック フォーエバー」「トロールズ」のマイク・ミッチェル。前作を手がけたフィル・ロードクリストファー・ミラーが製作・脚本。

前作が超傑作だっただけに続編は~~~と杞憂でしたよ。

LEGO的自分史から語らせてもらうなら、最初は普通に街を作って、『マッドマックス2』をTVで見てからは、車に柵つけたり、バイクに槍つけたりして、次は黒マジックでオリジナルヘッド描いて、行き着く先は除光液で彩られた悪の道……そんなわけで、やはり製作者はよくLEGO遊びをわかってる。髭とか描いたもんw

以下ネタバレ

無印「レゴムービー」シリーズは、作品で唱えられるテーマが、世界への普遍的メッセージとLEGOの理念のダブルミーニングになっていて、しかもその両者の基盤に突き刺さる絶対的な力を持ってるんだよね。

前作では、「オンリーワンは素晴らしいけど、マニュアルどおりだって同じくらい重要。だって、LEGOスペシャルビルドは、まずマニュアルどおりに組むことから始まるんだから」というメッセージが物語・LEGO・実世界を同等に貫く。そして「すべてはサイコ~!」で締められる。
しかし、前作ラストでデュプロ星人の侵略という危機かつギャグシーンで幕が降ろされるが、これこそが今作のテーマに直結している。

そもそも「すべてが最高」なのは、皮肉なことに、前作のヴィラン、おしごと大王ひとりが管理し、逸脱を許さない世界だからこそ「すべてが最高」でいられるんだよね。独裁世界の独裁者の歌。
しかし、そこに異物たるデュプロ星人(=妹)が関わってくれば、「すべてが最高」でいられるわけがない。

おしごと大王がスパボンによって「すべてが最高」の状態で固めようとしたのに対して、今作のボスキャラ(?)わがまま女王は(ほぼ)基礎パーツだけで構成された変幻自在のビルド。それはLEGOは本来何でも作れるという象徴。
一方、もう一人のキィキャラクター、レックスは結果的に前作のおしごと大王(=父)と同じ、逸脱を認めない存在になってしまい、絶対的破滅アルママゲドンを引き起こしてしまう。

その破滅を回避しようとするのが物語の縦軸で、「たとえ見た目が違っても、その違いを認めあい、多様性を受け入れて協力すれば、より良い世界を作ることができるかもしれない」というのが今作のテーマ。だから、今回はエメットやバットマンらのいわゆる普通のLEGOも、メイヘム将軍を代表するFriendsも、幼児向けのデュプロもファビュランドも、何度も同じ画面に収まる。当然全て、ブロックとして互換性がある。
前作はマジックリアリズム的だのが、今回はマジックが現実の世界に影響を及ぼす。それによって、LEGO世界でも、現実世界でも、わがまま女王が象徴する理念を取り戻し、あらゆる意味での破滅を回避する。

この、物語・LEGO・メッセージがつながっていくさまが見事すぎて泣く。

「3」が作られるなら、ついにガリドーが攻めてくるのかなぁw