I'M NOT SAM

『わたしはサムじゃない』ジャック・ケッチャムラッキー・マッキー〈扶桑社ミステリ ケ6-13〉

結婚して八年たったいまもバトリックとサムは深く愛しあっている。ところがある日の真夜中、パトリックはサムの泣き声で日を覚ます。なぜかサムの心は五、六歳児並みの幼い少女になってしまっていて「わたしはサムじゃない、リリーよ、あなたなんか知らない」と言い張るのだ。パトリックはなんとかしてサムを取り戻そうと決意するが……。不条理な試練にさらされる夫婦の姿を描く新境地の連作二篇に加え、ケッチャム節炸裂の衝撃作「イカレ頭のシャーリー」を併録。これが鬼才の現在進行形だ!

短篇が3作収録。


「わたしはサムじゃない」と続篇「リリーってだれ?」は『ザ・ウーマン*1同様、ジャック・ケッチャムラッキー・マッキーのコンビによる合作短篇。
元々は映画用の企画だったとか。


ケッチャムとしては毛色が変わっていて、誰も死なないし、そもそも暴力もない。
ケッチャム作品のじわじわ迫るイヤさは、ほぼ必ず絶対的な暴力が下地にあり、今作のように純粋に精神的なものだけのサスペンスは珍しい。
しかし、「わたしはサムじゃない」ラストのショックは、これまでの中でもトップランクの衝撃かも。


「超えてはいけない一線」は、過去作の方がはるかにヤバイんだけど、ある種避けがたい災害みたいなものだから、ディザスターものとしてどうしようもない。
でも、この作品は日常の延長線上にある生理的嫌悪感、疲労が薄く薄く積み重なり、ラストの一突きで「あーっ!」と一線が崩れてしまう。描写そのものは『オフシーズン』などに比べるべくもないけど、主人公が普通の人間なだけに、その精神的に禁忌を犯してしまう、許すべきかもしれないけど許せないこの感じ。その場にいれば止められたのに、傍観者に徹しなければならず、非常にきつい。
ケッチャムは、グロテスクというものをホントに良くわかっている。


当然、その後にどうなるのか気になるところを描いたのが「リリーってだれ?」。
なんとかなるのかなぁ……


イカレ頭のシャーリー」は二篇とは関係のない短篇。
これは収録しなくても良かったような。