The Act of Killing



『アクト・オブ・キリング』鑑賞


1960年代インドネシアで行われた大量虐殺を加害者側の視点から描いたドキュメンタリー。60年代、秘密裏に100万人規模の大虐殺を行っていた実行者は、現在でも国民的英雄として暮らしている。その事実を取材していた米テキサス出身の映像作家ジョシュア・オッペンハイマー監督は、当局から被害者への接触を禁止されたことをきっかけに、取材対象を加害者側に切り替えた。映画製作に喜ぶ加害者は、オッペンハイマー監督の「カメラの前で自ら演じてみないか」という提案に応じ、意気揚々と過去の行為を再現していく。やがて、過去を演じることを通じて、加害者たちに変化が訪れる。エロール・モリス、ベルナー・ヘルツォークが製作総指揮として名を連ねている。山形国際ドキュメンタリー映画祭2013インターナショナル・コンペティションで「殺人という行為」のタイトルで上映され、最優秀賞を受賞。

当事者による再現なんだから、それ以上はないというリアルな再現ドラマができるはずが、極めて異様なものが映ってしまったというドキュメンタリー。


1960年代インドネシアで、共産党弾圧に始まる激しい大虐殺。その犠牲者は50万とも100万とも言われる。当時、共産党自体は合法だったので、表立って政府が手を下すことができなかったため、街の愚連隊などに粛清を行わせる。
以降、その時に共産党員を殺したものは殺人では罰せられず、現在、何事もなかったかのように暮らしている。


監督は、被害者への接触が禁止されているため("共産党員"というレッテル貼られた家族は今も差別されているとか)、加害者にカメラを向けると、彼らは喜んで、自慢気に殺人方法や拷問の様子を語り始める。
彼らはヤル気満々で再現ドラマを演じ始めるが、そのさなか、自分たちが極めて異常で、許しがたい残虐な行為に手を染めたのではないかと考え始める……


彼らは訓練された殺し屋ではなく、街のチンピラ程度で、「普通」に近い人々だった。
そんな彼らが殺戮者となり、国の安寧を守ったものとされ、今では孫を可愛がる老人となって暮らしているが、再演により魂はリセットされ、自らが行った暴虐を目の前にするとき、精神はどうなるのか?
肉体が拒絶し嘔吐する様子、頑なに自分は正しいことをしたと言いはる様子など非常にショッキング。
特に、自分がやったことに気づいて、呆然としてしまう姿はあまりの弱々しさに、殺戮者であるにもかかわらず胸が詰まる。


ちなみに、途中で出てくるコイの形をした建物は潰れたレストランだとか。


非常に稀有な映画。オススメ。