ラテンアメリカ文学の魅力

ジュンク堂で行われた「寺尾隆吉『魔術的リアリズム』刊行記念イベント ラテンアメリカ文学の魅力」を聞いてきた。

魔術的リアリズム―二〇世紀のラテンアメリカ小説 (水声文庫)

魔術的リアリズム―二〇世紀のラテンアメリカ小説 (水声文庫)

講師は作者の寺尾隆吉氏と、ラテアメ読みでその名を知らぬものはいない鼓直氏。


広くはない会場は満席で、キャンセル待ちも出たとか。
日本のラテアメ好きの半数は、集まっていたかと(笑)


基本的には『魔術的リアリズム』と同じ内容。
それより、トークとしては鼓先生が日本ラテンアメリカ翻訳史を語る仙人みたいで面白かった(笑)


この本を書かれたきっかけ
魔術的リアリズムマジックリアリズム)」という言葉は、便利に使われているけど、それを定義した研究書がない、と鼓先生に勧められて着手。
カルペンティエールマルケス→ドノソ→アジェンデ、とつなげていくことによって何が見えてくるか?


百年の孤独*1を訳した時の苦労は?

鼓先生は「苦労はそうでもなく、特殊な用語が多いと売れないので、平均的なスペイン語が使われていた」という答え。それでもウイスキーをあおりながら、2年かけて翻訳。その時点ではマジックリアリズムなんてことは言われていなかった。
アストゥリアスの『緑の法王』*2の方がまるで不明で、巻末の単語集も全く役立たず。
また、真っ当な日本語の置き換えることができるので、面倒くさいのがどんどん来てしまう。
『夜のみだらな鳥』*3は2ヶ月カンヅメ。
シュールで、狂気の世界が性に合っているとか。
ドノソの『別荘』は30年前に持ち込んでおきながら、未だやってない。そこは、寺尾先生におまかせを(笑)
ちなみに、鼓先生は1ページ目を何十回も訳し直して、文体を見つけてから、一気に進んでいくそうな。


正と負の魔術的リアリズムとは
百年の孤独』のマコンドが陽なのに対して、『夜のみだらな鳥』の邸宅や修道院は陰の場。
寺尾先生いわく、それを、どう論旨に絡ませるか? マルケスとどうつながるのか? が難しかった。
他のマジックリアリズムが前進するための動力なのに対して、こちらは動力を潰すことによって、小説を形作ってると解釈。


本書を読んだ人なら気になる、アジェンデ批判について
あんまり訊かれたくなかったようだけど(笑)、エンタメ性は評価できるけど、魔術的リアリズム的には評価できず、特にパクり、インチキ臭さは批判すべき。
女流作家はもっといるので、アジェンデ以外にも紹介した方がいい。


魔術的リアリズムの歴史、地域、政治的結びつきについて
寺尾先生がもともと中南米研究という立ち位置だったため、政治的に読み解いてしまう。
ヨーロッパと違って、政治と密接に結びついている。
独裁者小説はラテンアメリカでは重要。しかし、それはある種普遍性を持っていて、『族長の秋』*4を読んだ中国研究者は「蠟小平の話じゃないか?」などと読むこともあるとか。
『族長の秋』は白馬でカンヅメ状態。


現代ラテンアメリカ文学について
マルケスやドノソに並ぶものはできていない。
最近の作品は、現実の依存度が高く、魔術的リアリズムの特徴とも言える独自の世界の創造には至っていない。
ボラーニョは中篇の方がよく、アメリカで受けたものを日本で訳しているような形なので、もっと独自に探していくべき。
しかし、下火になった80〜90年代に比べれば、芽が見えてきているので、今後に期待。


質問にあった、焼酎の「百年の孤独」はみんな気になってるよね(笑)