WIE DER SOLDAT DAS GRAMMOFON REPARIERT

兵士はどうやってグラモフォンを修理するか (エクス・リブリス)

兵士はどうやってグラモフォンを修理するか (エクス・リブリス)

『兵士はどうやってグラモフォンを修理するか』サーシャ・スタニシチ〈白水社EX LIBRIS〉

ボスニアの小さな町ヴィシェグラードに生まれ育った少年アレクサンダルは、ある日、祖父スラヴコから魔法使いの帽子と杖をもらう。豊かな想像力と語り続けることの大切さを教えたスラヴコは、カール・ルイスが世界記録を打ち立てた日に亡くなるが、アレクサンダルは祖父の遺志を継ぎ、故郷と家族の物語を紡ぎ始める。曽祖父母の田舎での収穫祭、ある日を境にティトーの肖像が外され、教師の呼称が「同志」から「先生」へと変更される学校……奇想天外なエピソードの数々が、少年の視点から生き生きと語られていく。1992年、ボスニア紛争が勃発。戦火はヴィシェグラードの町にも及び、一家はアパートの地下室で避難生活を余儀なくされる。セルビア人兵士たちが地下室へと侵入し、アレクサンダルはイスラム系の少女アシーヤをかばって一晩を階段で過ごす。やがて一家は故郷を逃れ、ドイツへと移住。アレクサンダルはアシーヤヘ何遍もの届かない手紙を書き、『なにもかも大丈夫だったころ』という一冊の本を書きあげる。歳月が流れ、成長したアレクサンダルはボスニアを再訪。彼が紡いできた物語と現実との落差を知ることになる……。

日本人には馴染みの薄いボスニア紛争が舞台。
想像力豊かなアレクサンダルの目に映る家族や故郷の様子はおとぎ話のようにも、子どもならではの大袈裟な表現にも見える。永遠に生きるかのような曾祖父母、トイレお披露目パーティ、猛スピードのタイフーンおばさん……個人的には算数の問題のエピソードとテトリスのエピソードがお気に入り。
一方、子どもには、紛争の大局的な様子は映らない。彼にとって紛争は、誰もグラモフォンを修理しない世界であり、イスラム系少女をかばった一夜。
そのアレクサンダルが成長し、故郷に戻ったとき、ようやく紛争の姿を実感する。幼かった頃に比べて世界が小さくなっているだけでなく、住民も様変わりし、もはや彼の物語では繕えなくなっている。
民族紛争の悲惨さと馬鹿らしさを描いているのは、休戦時のサッカーのエピソード。文字通り同級生が、敵同士となって殺し合う。
物語と現実との落差を目の当たりにしながらも、アレクサンダルが再び終わらない物語を手にしそうなラストに、紛争後の希望が見える。