Prilis hlucna samota

あまりにも騒がしい孤独 (東欧の想像力 2)

あまりにも騒がしい孤独 (東欧の想像力 2)

『あまりにも騒がしい孤独』ボフミル・フラバル〈松籟社 東欧の想像力2〉
ラテンアメリカは最近ちょろちょろ読んでるけど、バランスをとって東欧も着手。

故紙処理係のハニチャは、毎日運びこまれてくる故紙を潰しながら、時折見つかる美しい本を救い出し、そこに書かれた美しい文章を読むことを生きがいとしていたが、ある日、新型の巨大なプレスを見学に行き……

ナチズム、スターリニズムプラハの春、まで含んで読み、知識階級がいなくなった国で、本を潰し、穴蔵で生活する主人公が教養を得ていくことに意味を求めていくべきなのかも知れないけど、個人的にはひたすらグロテスクに読んでしまった。
焚書系の話は、本好きとしては心痛くなるはずだけど、ここに出てくるプレスには何も感じなかった。「本」という物体ではなく、概念を破壊する行為として、本を比喩として使っているのかなぁ。
主人公も、本当に美しい本を見つけ、そこから本当に教養を身につけているのかも、疑わずにはいられない。単にゴミの中から彼ならではの理屈で意味を見いだしているだけなのでは?
とにかく、なぜか生理的に気分が悪くなった。特に、サッカーのチーム表を見に行って犬の糞に脚を突っ込んでしまうシーンにはぞっとした。
でも、グロテスクだけではなく、イジートルンカの『手』に似た感触は、やはりチェコなのかな。