極私的サイバーパンク小論

チャールズ・ストロスの〈アッチェレランド〉シリーズと、先月の『アフタヌーン』に載った『アキバ署!』を読んで思ったこと。


この2作を読むと、本当に、いわゆるサイバーパンクってものは、とうに終わったものなんだと実感。


日本だと、SFのサブジャンルと言うよりは、サイバーパンクという1ジャンルとして、漫画とかゲームでまだ生き残ってるのかな。ヴィジュアルイメージは『ブレードランナー』を原型として、そこから顕著に外れることはない。
と言うか、外れたらサイバーパンクじゃないか。


一方、海外に目を向けると、小説では翻訳されたものしかわからないけど、いわゆるサイバーパンクの形をしたものは入ってこない。
映画は、まー、作られてるか。


で、最初に話を戻すと、『アキバ署!』の主人公、あまねはスーパーハッカータイプのキャラクターで、80年代なら、立派にモリィやケイスの仲間として、ギブスン作品に出ていたはず。ところが、この漫画は現代劇で、SFですらない。自由自在にあらゆる端末に侵入して、ウィルスをばらまくくらいは、脳にチップ埋め込んだりする必要もない、生身の人間で十分なのだ。


ニューロマンサー』とかサイバーパンク作品が発表された頃は、コンピュータ使いは一般人には想像できない特殊技能で、だからこそ、あの世界が成り立ってたわけだ。ウィザードなんてよばれてた頃の産物だね。


でも、今や、ワイヤードへのジャックインは日常茶飯事。ケイスやボビィも一般人の中に紛れてしまった。ケイスたちがコンピュータ・カウボーイだったのに対して、現在はネットサーフィンってのも、面白い類似だ。


では、海外のサイバーパンク小説は絶滅したか、次の世代に座を譲ったかというと、そうではない。
〈アッチェレランド〉シリーズは現在の状況を踏まえたサイバーパンクサイバーパンクが常に不定型な「近未来」を舞台にしているように、〈アッチェレランド〉シリーズも今から見た近未来。電脳世界にジャックインするのは特殊技能ではなく、誰もがやってる普通のこと。ネットに侵入するだけでヒーローだった頃とは隔世の感。では、主人公マンフレッドはどう活躍するかと言えば、ネット上の情報をどれだけ早く大量にサーチするか、それらを無数にクロスレファレンスさせ、整理しているか、そして、そこから何を見いだせるか、それが鍵。


どうやって情報を手に入れるか、から、どういう情報を手に入れるか、に変わったって所かな。


"教祖"ギブスンや"旗手"スターリングは、そう呼ばれながらも、サイバーパンクものはあまり書いていない。あくまで、近未来は近未来で、いずれ追いつかれることを考えていたのかも?


上手くまとめられないな。乱文失礼。


サイバーパンクについては
サイバーパンクアメリカ』巽 孝之〈勁草書房
がオススメ。